部落学について

部落学について

                               川 元 祥 一

 部落学、それは日本文明あるいは日本文化の基層を読み解く重要な鍵である。
部落学とは、これまで部落問題として歴史学、社会学、民俗学、心理学などで研究されてきた分野である。それぞれの分野で大きな成果をあげてきたのであるが、しかしそれぞれの分野はそれ自体として部落問題の全体像を把握することはできなかった。そして、この問題を本格的に研究すると、それぞれの分野に分散されて、まとまりがつかない結果をもたらす。そのため部落学の分野が必要となる。
これまで部落問題は人権問題として取り組まれることが多かった。そこでは部落問題の中にある差別を克服し解決する目的が置かれており、その課題は今後も大切である。
しかし人権問題は他にもさまざまな要因のもとにおこっており、それらすべての中では「差別はいけない」とするステレオタイプで終ることがおおい。人権問題の解決は必要であるが、それはそれぞれの要因の特性から解決の道が発見されることが望ましい。少なくとも多くの研究分野にまたがる部落問題は、その多彩な内容を豊さと捉え、その内部から生まれる新しい認識によって解決の道が模索されるのが望ましい。また多彩な豊さは差別だけに収斂できるものではなく、積極的な意味をもつ研究課題として、あるいは学問分野として把握されるべきであるし、それに応える十分な内容をもつ。

 文明と文化について次のように考える。文明は自然と人間の接点にある人間の側の道具、装置、制度など、あるいは全システム。文化はその内側にあって人間の精神にかかわる造形、価値である。
以上のように考えると、これまでさまざまな分野で研究されてきた部落問題は、文明・文化の概念によってはじめて総体化され、カテゴリー化することが可能なのがわかってくる。具体的にいうなら、部落問題は歴史的に、日本人のあいだでケガレ=カオスと思われる諸事象に直接対応し、その諸事象の再生・処理を行ってきた人々への社会的対応(制度や文化的システム)の問題である。この時、制度のひとつとしてケガレ=カオスに触れた人はその人もケガレるとする観念=触穢意識と、ケガレを忌避する制度が前提となって排除・差別の対象となってきた。

 しかしこれを世界史的にみると、カオス=ケガレの諸事象(動物や人の出血・病・死、天変地異、人の世界の規範破りなど)に直接触れ、それに挑戦してこそ文明・文化が生まれたのである。これは否定しようのない事実であろう。
このような視点に立つと、部落問題こそ、日本人の文明・文化の創造の、その基層を具現してきた分野といえるだろう。そしてまた、これまで人権問題として取り組まれた差別克服も、こうした視点による新しい認識によって、解決の第一歩を踏み出すことができると考える。
こうした理由によって部落学をうち立てる。

二〇〇一年四月
【立教大学・全学カリキュラム(総合学科)「日本文化の周縁」のテーマとして「部落学」を立ち上げた】