本当の猿回し

自然を生かした芸能ー猿舞座・村崎修二さんを訪ねてー

自然を生かした芸能 ー猿舞座・村崎修二さんを訪ねてー

一、猿の自然体が芸

  村崎修二さんにはじめて会ったとき、彼は「猿回しというのはねえ、猿の本能、猿の自然体を見せることなんですよ・・」と言った。その一言で、それまで私が猿回しに持っていた関心で、分からないこと、疑問だったことのすべてが解けた気がした。
それまで私が持っていた疑問の中心は、歴史的に猿回しが馬とか馬小屋(厩)の守り神であり、馬の安全を願う予祝や厄払いとして演じられたことについて、猿がなぜ馬の守り神かということだった。

 私がそれまで知っていた猿回しは、半纏などを着て逆立ちをしたり、輪抜けをする芸だ。あるいはテレビ・コマーシャルで知られる「反省ザル」のように人間の真似をするもの。私自身子供のころ、縁日の芝居小屋でかいま見たことがあるが、人間の若侍のかっこうをした猿の寸劇のようなものだった。それらの芸がなぜ馬の守り神なのか・・。

 いま揚げたような現代的な芸と、歴史的な本来の芸が同じでないだろうとは思っていた。だから本来の芸がどんなものか、現代とどこが違うのか、そのような関心があった。その本来の猿回しを村崎修二さんがやっていることも本で読んで知っていた。そんな村崎さんに突然会えた。二〇〇一年の正月、東京向島の三囲神社で私達千町の会と、浅草雑芸団が行った祝福芸大会でのことだ。東京に滞在していた村崎さんが相棒の猿・安登夢(アトム)を連れて特別出演してくれたのである。

 残念だったのは、その日私は主催者側の雑用に追われていて、村崎さんと安登夢の芸をゆっくり見ることができなかった。それでも、人だかりの後ろからかいま見る安登夢の芸と村崎さんの口上・語りはハッとするものを持っていた。
村崎さんが観客に向かって語っているのである。「猿回しはねえ、みなさんは無理やり猿に芸をさせているように思っているかも知れませんがねえ、それは間違いですよ。猿がやる気を起こさないと出来ないんです。わたしの安登夢がやる気にならないと私もどうしょうもないんです。だからいつ始まるか、私もなんとも言えません。始まったとしても、いつ終るか、これも分かりません。」

 人を食った口上ではないか。しかし、村崎さんの最初の話を聞いていたため、私は<なるほど>と思った。これが本物の猿回しなのか・・。私もそうであったが、猿回しを「反省猿」のように人の物真似をしたり、人の命令通り難しい芸をするものと思っていた人には村崎さんの口上は、すぐには理解できないかも知れない、私は主催者として < 失敗した > と悔やんだ。村崎さんの芸が始まる前に、本当の猿回しがどんなものか観客に知らせておけばよかった。そうすれば、このひとときの芸がもっと面白くて、有意義なものになっただろう・・と。
後で知ったのであるが、猿回しの公演を打ちながらも、安登夢がやる気をおこさなくて、何もせずに終ったことが何回もあるらしい。そんな話を聞いて私はたちまち村崎さんの猿回しに魅せられた。< これが歴史にいう本来の猿回しなのだ > と。ぜひその芸をじっくりと見てみたい。

 二、猿と人の本能の違い

 やがてその機会がやってきた。その年の夏、佐渡で宮本常一没二十周年記念として二回目の「佐渡芸能大学」があるという。村崎さんからパンフレットが送られてきた。
八月の暑い盛りだった。芸能大学は十日間佐渡各地を巡回するのであるが、私は羽茂、赤泊で合流した。なかでも赤泊の禅長寺で行われた公演がすばらしい。
夕闇のなかで、寺の前庭の芝生が舞台になって、照明が当てられる。そこで伊勢大神楽や風祭、地元の民俗芸能などが演じられるのであるが、最後に猿回しがあった。村崎修二さんと宮本常一は子弟関係ともいえるものがあり、宮本常一から「本物の猿回しを残すべし」といわれて村崎さんが頑張ってきたのである。
その日の猿回しは村崎さんの弟子の筑穂大介さんと相棒の猿・一平(いっぺい)だった。安登夢もそうだったが猿回しの猿は美しい、そしてどこか毅然としたところがある。
芸は次のように続く。①口上(大介さんが一平を紹介する)②一平の挨拶。③トンボ返り。④輪抜け・・。など。
しかしこれがなかなか人間の思うとおりにはいかない。そしてそこが面白い。私は村崎さんの最初の言葉を思い出していた。なるほど、猿回しというのは本来、人間と猿の本能の違い、人間の思うとおりにはいかない猿の自然体を楽しんだのではないか・・と。人間の物真似をうまくやった猿を誉めるような、そのような芸ではなかったのだ・・と。
例えばこうだ。大介さんの口上の間一平は芝生の上を二足歩行でうろうろしている。この二足歩行が猿回しの大原則であり、これが出来ないと猿回しではない。
一平は勿論立派にできる、と大介さんが紹介する。ところがそれがなかなか言うとおりにいかない。真夏の夜の芝生の上に照明をあてた舞台だ。虫がたくさん寄ってくる。一平は大介さんの紹介を無視して四つん這いになり、飛んでいる虫を追いかける。そこに猿の本能がなるのであるが、そのような一平に、観客の笑いがドッとくる。
輪抜けなども同じ原理なのだと私は思った。竹の輪を猿が飛び抜けるのであるが、猿がその気にならないとやらない。無理にやらすわけではない。「一平この輪をぬけるんだよ」と誘いをかけるだけだ。時には「お願いだから」と猿に哀訴することもある。一平はその時も虫追いに夢中だった。そしてそこに人の笑いがくる。もっとも、猿には高いところにあるものを飛び越す本能がある。だから気が向けば簡単に輪を抜けてしまう。

三、猿の二足歩行は自然体 ー「本仕込」と「にわか仕込」ー

 猿の本能を見せる、という村崎さんの話が実感できる芸だった。しかし一つの疑問があった。それを村崎さんにぶつけてみた。猿は普通四つん這いで歩く。これが自然体ではないか。なのに猿回しは二本足で歩く二足歩行が大原則だ。しかもこの訓練のために猿を厳しく仕込む話を聞いたことがある。このような私の疑問への答えは次のようだった。
「たしかにかなり無理をして仕込む人もいるんだ。それは<にわか仕込み>といって本当のやりかたじゃないんだ。本当の仕込みは<本仕込み>といって絶対無理をしない。 私達は猿のやる気を大切にする本仕込をやってるんだ」と。
本仕込みというのが本来のやり方らしい。猿の自然体を生かした芸の訓練=仕込みということである。
とはいえ二足歩行そのものが猿の自然体に反するのではないか?。しかしそれも私が考えていたことと違った。猿は野生の場合でも直立し、二足歩行する。
言われて思い出すのであるが、動物園の猿を見ていても、餌を両手に持った猿は軽々と二足歩行している。また猿やイタチなどが外敵を見張ったり、餌を探すとき、直立する姿はよく見る映像だ。猿のこうした習性を本仕込みによって一層磨きあげる。これが猿回しなのだ。日本モンキーセンターの広瀬鎮はこの二足歩行について「今日、人類学研究者によるサルの仲間たちの直立起源論が多く提出されている」(『周防猿まわし緊急調査報告書』山口県教育委員会)として猿、チンパンジー、ゴリラなどは、本来直立していたとするのである。

四、猿の自然体と神観念

 もう一つ猿回しで分からないことがある。猿が馬の守り神とされていたのはなぜなのか・・?。村崎さんの考えを聞いてみた。「猿は山の神だからね。動物を代表するような立場ではないかと・・」と言う。
村崎さんは民俗学者宮本常一との交流を重ねていてサルの民俗に憧憬の深い人である。また、先に引用した『周防猿まわし緊急調査報告書』は村崎さんたちが先頭に立ち、多くの専門家とともに実態調査したものであるる。猿回しの研究のためには欠かせない本だと思う。
村崎さんの話のなかにこの本がたびたび出てくるので山口県の図書館から借りてきた。広瀬鎮は猿の神観念について「サルの力をもってウマの無事息災を願うサルの信仰は、(略)サルの生命力にあやかったサルの霊力というよりは、サルがもつ能力への期待がこの祈祷行為とウマを結びつけて信仰を発展させていった」(前掲書)とする。
「霊力」というあいまいな観念を排しながら、猿が持つ自然体としての独自の能力を信仰としの神観念に結び付けているのであるが、それはアニミズム的な観念として当たっていると思う。
自然の生命力を神とし、それを崇拝する信仰は世界各地にあり、自然と人間の共存のために改めて見直されようとしている。そうした信仰の一つの形態が、日本では猿に向けられたといえるだろう。そして、野生の馬を人間の動力として飼育するとき、最も人間に近い動物としての猿を、人間の世界と動物の世界の仲介役として守り神にしたのではないか。私はこのように考えた。そして、このような信仰は類感呪術として世界中にある。

五、呪術から芸能へ

 猿が馬の守り神という信仰を強く持っていたころ、猿回しは儀礼的な芸として、主に門付芸として活躍した。平安時代ころまで馬は貴族の乗り物、動力として飼育されていた。鎌倉時代になって農民が動力として飼育するようになり、一機に広がったと考えられている。そのころから門付芸の猿回しも民衆に広がっただろう。そしてほとんどの場合、非定着者とか賤民層の人が行った。
こうした猿回しを儀礼的・呪術的芸と呼ぶことができる。しかしこのような儀礼的な芸が、やがて信仰形態のない楽しい芸能になってゆく。この変化もまた、江戸時代まで非定着者、賤民層とされた人が進めたのである。
村崎さんは周防猿回しの歴史と実態を調査しており、そうした流れにも詳しい。
周防では、民家の門先や馬小屋で門付芸をすることを「ドカウチ」と呼び、芸能化したものを「バタウチ」と呼ぶ。これは広場などで場を取り、そこに人を集めて芸をするものである。この違いは歴史の流れであると同時に、芸の質の違いでもある。ちなみに、ドカウチをしながら旅をすることを「じょうげゆき」という。
全国どこでもそうであるが、門付芸をして祝儀を貰うことを乞食のように思っていた。これは、門付芸本来の意味でおる信仰性、儀礼製を忘れてしまった考えであるが、旅芸人への偏見、差別観がそうした考えをもたらしたところもある。
こうした偏見があったためでもあるが、ドカウチよりもバタウチの方が上等という考えがある。ここには「じょうげゆき」芸人の苦しい思いがある。しかし、そのような苦しい思いは儀礼的・呪術的猿回しを芸能に飛躍させるエネルギーになったであろう。ここには世界の文化史でいわれる「神から人への変化」が見られるのであり、高く評価すべきと思う。

六、自然観としての猿回し

 しかし、この変化には弱点もあった。それは本来の猿回しがもつていた神観念を無意味なものとしてすっかり忘れたことである。
近代社会になると呪術的な神観念は多くのところで克服された。そのことは重要なことであって、高く評価すべきだろう。しかし呪術の全てが悪いのではない。呪術のなかのアニミズムは、二十一世紀のテーマとして世界各地で見直をされているのである。それはアニミズムの中に自然観があるからだ。
村崎修二さんが継承する猿回しがアニミズム的であるのはすでに見た。村崎さんはそれを芸能化した演技として行っているのであり、「神から人への変化」をもっているが、その上にたってなを、猿の本能、自然体を演技として見せようとしている。そこには日本人が伝統的にもっていた自然観というものが含まれているのであり、その芸は芸能としての評価とともに、人と自然の共生のための大きなヒントとしても高く評価し、見直されるべ要素があると思うのである。