川元祥一からの緊急メッセージ2

緊急メッセイジ②
再生文化について
基層からの思想基軸
川元祥一

東京電力福島第一原発の事故の報道によって、原子力エネルギーが危険なのを知りながら原発建設を推進してきた研究者、専門家たちの思想レベルがわかってきた。報道では原子炉の構造や技術、原発の機構などに焦点が注がれ勝ちで、それも事態の性質から仕方ないが、その建設に携わった人々の、あまり人目に触れない思想性や心理というものが、危険で複雑な文明装置である原発を建設するうえで、いかに決定的な意味をもっていたか、しかもそれが、装置の複雑さや事故の重大性に比べていかにも軽々しくあっけないものだったか、失望感とともに知ることになる。そうした軽々しさを知るにつけ、かえってそうした思想性の重大性を痛感し、彼らに何が欠落していたのか、悔しい思いをもつとともに、本来あるべき思想、価値観を考える。現代から未来に向けて、人類史に決定的な影響をもつと思われる原子力発電所であればなおのこと、その建設についてnoかyesかの分岐点にあるそうした思想性は、もう少し、人の良心や善意の輝き、精神性豊かなものとして未来に繋がるものであってほしいと痛感する昨今である。

読売新聞(四月二日朝刊)によると、福島第一原発の事故に際して四月一日、この国の原子力推進を担った専門家が会合を開き、事故について「状況は深刻で、広範な放射能汚染の可能性を排除できない」との声明をだした。そこに参加した元日本原子力学会の会長・田中俊一氏は同原発の一~三号機を取り上げ「燃料の一部が溶けて、原子炉圧力容器の下部にたまっている。現在の応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、突き破ってしまう」と、圧力容器の爆発による多大な放射性物質の拡散を心配している(四月十三日現在一号機で壁が溶け、圧力容器に窒素を注入して水素爆発を防いでいる。筆者)。
同じく会合に出席していた元原子力安全委員長・松浦祥次郎氏は「原子力工学を最初に専攻した世代として、利益が多いと思って、原子力利用を推進してきた。(今回のような事故について。ママ)考えを突き詰め、問題解決の方法を考えなかった」とし、陳謝したと書かれている。松浦氏はテレビの取材でも原子力利用が危険なのを知りながら、事故について「隕石はいつ落ちてくるかわからない」と喩えて考え、自然災害に対する備えが甘く「間違いだった」と語っている。
松浦氏は自然と原発(人為)との関係をみており、人間の文明的装置に対して自然が破壊的作用を及ぼすことのある現象について思慮、配慮が行き届いていなかったのを反省している。とはいえ、原発が、人が作りながら人のコントロールの外にある危険な装置であるのを専門家として十分認識していたはずであり、そのことを考えれば、「利益が多い」といった発想で原発を推進したことに、正直いって驚いた。<こんな軽い発想で事故が始まっているのだ>と。

そうした記事がでる前であるが、三月三十日、詩人・高良留美子と私・川元祥一の連名で友人、知人を手始めに、多くの人に転送されているEメールによる緊急メッセイジ「福島原発事故から再生文化社会へ」は、ひとたび起こった原発事故が、短くて数十年、悪くすれば数百年、物資によっては数千年の単位で死の予感をともなった「負の世界」に陥ることを指摘し、そうした原発を脱却する価値基軸を「再生文化」として発信した。それは、福島原発事故を目の当たりにして緊急に発信したが、その価値基軸「再生文化」は、本来、原子力だけでなく、人間社会、生活のさまざまな局面で、自然に還元しない科学物質を利用しないこと、事業化しないことを訴える。地球温暖化の主な原因である多量の二酸化炭素、同じ意味としての「開発」の名による森林伐採などの抑制・規制など。二酸化炭素に代わって原子力エネルギーが「クリーン」とする宣伝がさかんだったが、それが間違いなのは今度の事故が証明した。チェルノブイリもスリーマイル島の原発事故も同じ教訓を示していたのだ。原子力はクリーンではないし、自然への還元を考えれば、人類が作った最も危険で、自然から遠いエネルギーだ。
こうした事例を前に、文明の行き過ぎが指摘され、自然との調和が二十一世紀の人類的課題になっている。そうした現代的課題として、人類をはじめ生物の生存を害し、自然に還元しないものは活用しない価値観、言い換えれば、再生可能な科学や技術を最高の価値とする再生の文化、その基軸を主張するものである。

私たちの緊急メッセイジは四月十四日現在、まだ転送が続いているようで、多くの共感を得ている。三百人の友人知人に転送したという人もいた。そうした中で、二三の異論が寄せられている。それを二つの特徴に分けることが出来る。一つは、緊急メッセイジが、福島原発事故の特徴を自然現象の地震と津波が直接的原因としたことに違和感を持ったらしく、「これは人災」です、と主張するものだった。私たちも、そこに人災が多いことに異論はない。ただメッセイジでは「人災」という言葉を使わずに、「死滅の文明装置」とした。慣用的に使われ勝ちな言葉をできるだけ避けたかった。そしてまたこの災害、事故は、自然と文明の衝突といえるもので、今後自然との調和を考えるうえで自立して動く自然の力を無視してはならないことも主張すべきと考えた。もう一つは、世界で三十ケ国以上が原発を持っている現在、その廃止を訴えるよりも規制をより厳格にし、大きな地震にもびくともしない施設にするのが現実的、というもの。これは、いわばよくある発想、といえるかも知れない。しかし、核分裂を原理にした原子力エネルギーは、人間が作りながら、いまだ人間がコントロール出来ない文明装置だ。仮に大きな地震をクリアし発電所の機能をまっとうしたとしても、使用済み核燃料は、可能な限り地下深く埋めたとしても何百年、何千年と水質汚染の心配をし、福島の使用済み核燃料格納庫と同じ水素爆発を起こす悲劇の心配を続けなくてはならない。そんな使用済み核燃料が世界中に広がったら、悲劇の可能性が増大するだけで、地球そのものが後戻りのできない「負の世界」に陥るのを想像すべきではないか。そうしたなかで、彼がいう厳しい規制が唯一安心できる可能性をもつとしたら、私たちが「再生文化」で主張した「再生可能な科学、技術が確立するまで研究室に閉じ込める」、そうした規制であり、価値観ではないか。

先にいった広い意味での「再生文化」について、概要を示したい。
「再生文化」について高良留美子は、その基層にあたるものとして月の文化をあげる。月は旧石器時代から多くの民族、地域で生命の誕生、生殖、成長、死の象徴であり、生命の再生、復活の象徴でもあった。月の満ち欠け、新月(暗い月)、三日月(上弦、下弦の月)、半月、満月と変わる姿と、満月から再び姿のない新月に戻りながらも、すぐ西の空に新しく蘇る。そうした循環が再生の象徴であり、再生文化の意味あいだ。その月は、生命を宿し産む女神でもある。高良はそうした象徴的女神について、日本的神話としてのイザナミを代表的とする。つまりイザナミは後の人格神とは全く違うもので、あらゆる幸・富を生み出す豊かな大地の体現者としての「大地母神」であり、出産の神、再生の神なのだ。
こうした月の文化と女神は、農耕の始まりによって太陽文化に変り、家父長的ヤマト政権によって日陰に追われる。そしてさらに、近・現代の行き過ぎた文明社会が追い打ちをかける。高良はそうした家父長的政権や近・現代の再生不能な行き過ぎた文明を超克し、自然との調和、循環と再生を取り戻するために、その基層文化して月の文化をみている。
川元は、行き過ぎた近代文明、その文化や社会の超克を考えるため、この国の前近代を足場にしながら内部にある新しい芽、文化基軸を指摘する。その基軸は、人間の側の文明の見直しを、自然との最初の接点にあるアニミズム(自然の生命力を神とする。女神、大地母神もこのカテゴリーにある) の発見と、それを原点にしながらエコシステムという自然の再生循環に対応した文明システムを構想しようとする。この文明システムの思想は「科学的、技術的に自然に回帰・再生できないものは社会的、事業的に利用しない」というもの。
こうした再生文化の思想は、その基軸としてこの国の歴史の中に育まれてきた。だが、ヤマト政権や中央政権からではない。高良が見ている日陰に置かれた部分、軽視され差別された人々の生活、仕事や文化にあった。
この国の和人社会の政治や文化の歴史の中に「清め」というイデオロギーがある。祝詞の「罪・穢を祓清め」が典型だ。祝詞の場合、権力の座にあるシャーマン、あるいはそれに準じる各地のシャーマンたちが宗教儀礼として唱える。しかしそうした儀礼とは別に民衆の間に「清めの塩」などがある。「清めの塩」そのものは宗教的であるが、その原点は、塩が持つ自然の生命力、味噌、醤油、塩サバのように、腐食を防ぐ生命力を生活文化に利用したものだ。宗教的清めも、こうした具体的生活文化を基盤に発生、維持されていると私は考える。
このような具体的生活文化の「清め」は、この国の歴史、その生活文化にたくさんあった。たとえば古代の警察機関の検非違使は、天皇直属の機関であり、その現場で警備や刑吏の具体的仕事をした人を「清め」と呼んだ。これは天皇が唱える「罪・穢を祓清め」に対応し具体化したものといえるが、その現場で働く放免、下部、非人と呼ばれた「清め」は、天皇に会うことができなかった。「聖」なる人格神天皇は罪・穢に触れないからだ。ここに祝詞のイデオロギー構造があり限界がある。しかし人々の生活は具体的「清め」によって成り立ち、当時さまざまな意味で「罪・穢」とみられた危機からの再生を図ることができた。
民衆の生活としての農耕や漁労、狩猟生活は、最初から自然との調和、再生を図ってきたが、もう一つほとんど無視された再生文化がある。高良が重視する月の文化では、狩猟・肉食文化が旺盛だったが、ヤマト政権、ことに天武期に屠畜・肉食が禁止された。その原因は祝詞のイデオロギー構造に関連するが、民間では、そして権力の座の者も、陰で肉食をしていた。健康によかったからだ。しかしその生産者、動物の屠畜解体をする者は「あってはならない者」として無視、差別された。また、屠畜で得られる皮革も、鎧や馬具、太鼓などとして社会の必需品だった。そしてそれは、腐る「皮」から腐らない「革」への変化、再生文化の典型でもあった。しかしその技術者、生産者も無視、差別された。こうしたイデオロギー構造とその限界は明治時代初期まで続くが、その後は欧米のそれらの技術を導入、その「欧米」の技術ばかりが評価され、現代では、この国に無視・差別のイデオロギー構造などなかったかのように思われている。しかし、自分の歴史を直視できない文化状況に、生活や文化の真実を見る力はないと考える。私は、ここで無視、差別された文化を「部落文化」と呼んでいるが、それは動物の生命力、その特性に依拠した文化であり、欠くことのできない再生文化だったのだ。このような歴史を正視、直視し、この国の文化を足元の基層から見直し、変革することが大切と考えている。
現代的知識と科学の集積ともいえる原子力発電所と、歴史の日陰でつづいた文化、価値観を並べると、後者がいかにも古く、歴史的遺産のように見えるかも知れない。しかし、権力から日陰に置かれながらも、具体的に民衆の生活を支え、今もそれを認識できる文化は、それを直視することで大きな意味を持ち、深いところで共感が広がる可能性をもつ。
原発が再生不能なエネルギーであり、危険きわまりないのを知りながら「利益になると思って」推進してきた思想性を知るにおよんで、長い間人々の生活を支え、いまもその具体性を認識できる、自然との調和を図ってきた文化を対置し、それを現代的に表象、体系化することも考えて、人々の社会的関係、その思考、議論の基軸にすべきと痛感する。

このような「再生文化」の認識が広がり、異なった言葉で表される同質の文化をも含めて共感が集まるなら、それぞれの地域の自然や歴史を生かし、そこでのアニミズム的神々を集め、現代的表象も含めた祭り、「再生の祭り」とでもいえるものを構想することが可能ではないか。そうした新しいエネルギーが再生、広がるのを大いに期待する。