―国家仏教「護国三部経」に見る「殺生禁断」の「破戒=悪」の思想―
仏教の「不殺生戒」はどんな思想体質を持っていたのだろうか?。現代は「必要以上に」等言って今余裕をもって考えられるようだけれど、本来「不殺生戒」は地球上の動植物の生存の基本にある「類的存在」の、それを支える「食物連鎖」を否定するものと私は考えている。「食物連鎖」を「弱肉強食」と見る人もいるが、それは人間の視界に入る範囲の事で、人間の目に見えない細菌は象やクジラの内臓を食料にして生存、生殖し、巨大な動物を食い殺すのであり、何が強くて弱いか簡単に決まらない。そうした世界を含むと「不殺生戒」も人間の都合だけで語られている側面がある。その証拠に戒律を破った時の仏教の価値観が、地球上の全動植物の存在を見失なって、人間のネガティブな面だけを見出するだけの、しかも根も葉もない非合理な、一方的・独善的価値観なのは間違なのがわかる。
また部落問題学習で入門書とも言える鎌倉時代の辞典『塵袋』では「キヨメヲエタト云フハ何ニナル詞ゾ」と問いながら「天竺ニ旃陀羅ト云フハ屠者(トシャ・ホフルモノ)也。イキ物ヲ殺テウル<売る>、エタ体ノ悪人也」[()内現代訳者。<>内川元](『塵袋1』大西晴隆・木村紀子校注・東洋文庫)と書く。「旃陀羅」「屠者」がなぜ「悪人」なのか。両者はとも元は動物の屠畜解体にあたる仕事をしているが、「食物連鎖」の肉食文化は地球上どこにでもある。このようにして地球上の動植物は生死を繰り返してきた。その現象の一部分を見て善悪を決めてはならない。しかも『塵袋』から引用した文に「屠者(トシャ・ホフルモノ)の訓読の説明がついているのを見てもらいたい。訓読=和語で「ホフルモノ」と訓読され、白川静の辞書?字訓?(平凡社)は「はふり」を「屠る<ホフル>」と同じとし「神官」と解説する。つまり牛や馬を殺して川や山、天の神に捧げる「屠者」を訓読・和語でハフリ・ホフリと呼んだのであり、彼らは「神官」であり「悪人」などと差別されてはいなかった。それがなぜ「悪人」と呼ばれるようになるのか?
第一章 屠者が「悪」になるわけ
日本で国家仏教として神仏習合政治が始まったのは六世紀末、その政治のなかで中心的存在だった「護国三部経」(「金光明最勝王経」(以下「金光明経」)「法華経」「仁王般若波羅蜜多経」(以下「仁王経」)の中で最も重要視され、全国の国分寺に配布されて国分寺経とも呼ばれた「金光教」を参考に、そこで述べられる「不殺生戒」を見て行く。金光教」には「十戒」(専門的な僧にはもっと多くの戒律がある)があって、「嘘を言ってはならない」「他人のものを欲しがってはならない」等、普通の生活でも注意されるような戒律が並んでいるがが、その第一義的なのが「不殺生戒」である。これはやはり普通の生活をはみ出して、独特な雰囲気をもつものだ。その雰囲気について この後論述する予定であるが、これら戒律は多くの宗派が持っていて、どこでも「不殺生戒」が最初の項目として挙げられているのが普通のようだ。それだけ重視される戒律という雰囲気を持っている。
そしてこの「金光明経では戒律を守ることを重視し、それを守るのを「善行」とし、破戒的なのを「悪行」とする。ここに「善・悪」の価値観が明確に示されるのであるが、しかし第一項目の第一義的雰囲気の「不殺生戒」については、あまり細かし説かれてなくて、その項目に関しては「金光明経最終巻」を見るよう指定しているのだった。しかし私が参考にしている『西大寺本 金光明最勝王経古點の国語学的研究』(春日政治著作集―別巻・勉誠社刊)には載ってなくて、多くの経典の集約とされる『一切経』に載っているのだった。次のようだ。「養う所の鶏・猪・鵞(がちょう)・鴨、肉用の徒<インドの家畜>、みな悉く放生す。家々に肉を断じ、人善念して屠行を立てず」(『国譯一切経』大東出版社)だ。「不殺生戒」によって「肉用の徒<インドの家畜>は、みな悉く放生す」と説き、その上で「人善念して屠行を立てず」と説く。つまり「屠行」が「悪」で「放生」が「善」ということだ。
この後、日本で初めて政治的に「殺生禁断」を布告したのは六七五年、天武天皇だ。「漁業や狩猟に従事する者は、檻(おり)や落とし穴、仕掛け槍などを作ってはならぬ(稚魚の保護(引用文ママ)。また牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べてはならぬ。それ以外は禁制に触れない」だ。牛・馬・犬・猿・鶏は日本の家畜であり、引用文最後の「それ以外は禁制に触れない」は当時盛んだった貴族、武士の「鹿狩」「猪狩」と考えられ、これがあるためこの禁令が「金光明経最終巻」に準じると言えるだろう。またこの禁令と『一切経』の関連も、禁令から三か月後、天武が「使いを各地に遣わして一切経を求めさせた」(『日本書紀 下』宇治谷孟訳・講談社学術文庫)とあり、一切経を学ぶよう各地官人に指示したところだ。
諏訪神社「御頭祭」撮影川元