川元祥一からの緊急メッセージ

川元祥一の緊急メッセージ1

緊急メッセイジ ①

福島原発事故から再生文化社会へ

「負の世界」からの再生  ―その第一歩、福島から世界へ

二〇一一年三月十一日、日本列島宮城県沖で起こった地震と、つづく津波(合わせて東日本大震災又は東北関東大震災)は、日本で記録された地震・津波としては最大のものといわれ、一〇〇〇年に一回の規模だったともいわれる。

そして、その被害もさまざまな予想、予防を超えるもので岩手県、宮城県、福島県などのそれは甚大なものだ。
そのうえ震災地にあって、現代人類の知恵、技術を集約したといえる原子力発電所・福島第一原発(福島県双葉町、大熊町)の六機の原子炉にそれぞれ何らかの事故、故障が起き、原子炉の格納容器の破損、使用済み燃料棒貯蔵プールの故障、それらにつづく水素爆発などで放射性物質、放射線が放出されるという、人類史に記録されるべき大事故が併行している。
原発から二十キロ範囲の住民への避難指示、三十キロ範囲の屋内退避指示(二週間後に自主避難指示)が出されるとともに、放射性物質の拡散によって周辺地域の土壌汚染、野菜の出荷停止。
原発から二百キロ以上離れた東京をはじめ首都圏、関東地方に飲料水被害が広がりはじめている。

東北地方、関東地方の太平洋沿岸で直接被害を受けた人々には一日も早い復興のため、最大級の支援と協力が必要であり、かつ急を要することが誰の目にも明らかだ。 一方、この震災が原発の事故を誘発している事態から、日本人に限らず人類史にとってある特徴を示しており、象徴的事件として考察する必要があると考える。

その特徴はこの原発事故が、地震・津波という自然現象で起こったこと。つまり人的制御を超えたところで起こっていることだ。
もちろん原発建設の当初からそれは想定されており原子炉を収容する格納庫は外部力の破損や内部からの放射性物質の放出を防ぐ五つの壁が設置されている。

しかし東日本大震災はそれを超えた。つまり、当事者や当局のいかなる言い訳をも超えて、その事故はやはり人的制御を超えていた。

これがこの事故の特徴だ。
原発事故は列車事故や自動車事故、あるいはこれまでの戦争に使われた火薬の爆発とは違う。
日本人は広島、長崎の被爆体験で、世界中の誰よりもその意味と恐ろしさを知っているが、その破壊力は、二度と起こってはならい脅威だ。そしてその原理としての核分裂は熱量だけでなく、核放射物質による目に見えない被害が大半であり、平凡な日常生活に長時間、しかも一定の量を越すと回帰・再生不能な形で浸透する。

つまり・再生不能な破壊力を持つものだ。 人類はその破壊力(核分裂)を作り、武器として使用、保有しながら、さらにエネルギーとして使っている。最近では、地球温暖化対策の「切り札」「クリーンエネルギー」ともいわれ、幻想を振りまいているが、しかし核兵器においても原発においても、核分裂がともなう放射性物質、放射線は、人類がそれを完全に制御するにいたっておらず、その拡散が始まると人体への被害は確実で、しかも常に死を予見し、確かな対策もなく死を迎える負の世界、負の文明装置といえるものなのだ。

福島原発の事故で、誰の目にもあきらかになった原子炉の核燃料棒、あるいは使用済み核燃料棒は、その内部では「壊変」といわれる燃焼をつづけており、これを止める手段を人類はもっていない。

そのため使用済み核燃料棒をガラス固化して地下三百メートル以下に埋める計画と、使用済み燃料棒を再利用するプルサーマル計画があるが、再利用されるのはプルトニュウムだけで、他の使用済み核物質は地下埋蔵される。

しかしそうした計画が、今度の地震によって無意味であり、期待する効果はないであろうことが実証されたといえる。特に「地震大国」日本では、地下埋蔵が、危険きわまりないのがわかったのだ。

地震が地殻変動によって起こる以上、地下三百メホトル以下が安全とは決していえないからだ。プルサーマル計画もまた、技術的、科学的制御が不完全であるとともに、それが福島原発と同種である以上、同じ運命にあるだろう。

しかも仮に地震がなくても、地中に埋めた核燃料棒が自然の中のウラン状態に戻るのは百万年かかるともいわれる。その間人類は、いつ起こるかわからない地震に怯え、ひとたび大きな地震が起こると、回帰・再生不能な「負の世界」を予見しつづけなくてはならない。

原子力・核分裂を利用しながら、その最終的、あるいは想定できる最悪のケースに対して制御手段を持たないまま事業化した原子力発電所を「トイレのないマンション」と呼ぶことがある。

私は、このような比喩は生易しいと思う。核爆弾はいうまでもなく、原発事故による放射性物質、放射線の拡散は、人が可能な制御を超えると確実に人あるいは生物や植物の死を意味する。そうした性質からして、それは「負の世界」あるいは「死滅への文明装置」とでもいうべきと考える。

そして、こうした再生不可能な装置は、事業化するのではなく、専門的研究者の研究室に閉じ込めておき、完全な制御、再生の論理が成立するまで利用・活用しない。

そのような価値観、社会観が必要と痛感する。私はそのような価値、文化を「再生の文化」と言ってきた。 以上の意味において、ここ数日私たちが経験している震災、原発事故は、私たち日本人、あるいは日本列島に住む者だけでなく、地球上の人類にとって重要な意味があり、すでに各地の人々が気づいているとおり大きな警鐘、その象徴と考える。

原発の事故だけなら、チエルノブイリ事故(1986年)やスリーマイル島事故(1979年)で体験している。
チエルノブイリは福島を超える被害だった。
しかしそれら事故の原因は、原子炉の構造上の特徴やそのための操作、作業のミスによるものといわれている。
そうであるなら、それらは人の知識、努力、訓練などで回帰・再生可能と考えられる。
もちろんいうまでもなく、この両者にあっても、核分裂による発電という意味で、人の手による最終的制御は見出されていない。
それは世界中同じであり、福島第一原発も例外ではない。
しかし福島原発の事故がもつ特徴は、その原因も人為でなく自然現象だ。

そのため、その事故の原因もまた人のコントロールの外にあること。
つまり、福島第一原発の事故は、原因も結果も人のコントロールや制御を外れ、限りなく再生不能な、「負の世界」に進むものといえる。
福島原発の事故現場では、最悪の事態を避けるため、多くの人が日夜苦闘している。
そのような人々に感謝するとともに、早く事故が収まり、これまでのように安定することを願うが、たとえそれが安定したとしても、事故の原因が自然現象である以上、使用済み核燃料棒も含め、事故は繰り返されることを予想せざるお得ない。原発を推進してきた人は地震が千年に一回のものだったのを言い訳とし、この後原発の危機管理を強化するだろうが、地震の発生が人のコントロールの外にある以上、そしてこの事故をひとたび経験した以上、地震のたびに「負の世界」は繰り返し予感されるだろう。
そしてそれは、「トイレのないマンション」といった甘いイメージとは比べようのない不安に繋がると考える。
そしてそれは、原発のあるどこかの地域の問題にとどまらず、人類的課題なのも、すでによく認識できるはずだ。 人類はここでいう「負の世界」、その文明的装置の負の性格を早くから認識、予知し、核兵器の使用と生産、核分裂の事業化への批判があり、抗議もつづいている。
そしてそれは核兵器や原発だけでなく、人類が開発してきたその文明の行き過ぎを反省し、自然との共生という課題を訴え、実行しようとしている。また実行されつつもある。
そうした現代、文明の行き過ぎを反省する流れの中で、福島第一原発のこの事故は、先にいった特徴からして、おそらく人類史上最初の、そして最大の警鐘と考えてよいだろう。
そして、そこで予見される最悪の事態を避けるため、可能な限りの制御と安定を計るのは当然としながら、一方で私がここでいう「再生の文化」の定着、その人類史的第一歩を踏み出す必要があると考える。直面する事故の制御と安定は、本来専門的研究者の研究室で行われるべき課題だった。
しかし不幸にして、我々は「負の世界」の進行、その予見と不安を目の当たりにしている。その最大限の対策、防御とともに、こうした不幸を二度と体験しないように、新しい世界観、新しい価値観、その文化の構築を目指す必要があるのも痛感する。そしてそのための言葉は、すでに多方面から発信され、人々の共感を勝ち取り始めていると思う。

 

私がここで発信する「再生文化」も、その一つだ。このメッセイジに共感する人は、それぞれの個人の新しい第一歩として、可能ならそれぞれ個人の名前やメッセイジをここに加え、そして必要ならその人の日常語、母国語に転換して、この文を友人知人に送ってもらいたい。私は、そして多くの私たちは、核分裂や核利用について専門家ではない。

それぞれの個人は、それぞれが自負する専門性を持ちながらも、生活のうえではすべての人が平凡な生活者だ。しかし考えてみると、人類史にみられる多くの歴史や変革は、その平凡な生活者の発言と行動から始まったといえるのではないか。

そうした意味で、平凡な生活者の平凡な感性と意思が表示されるべき時だと考える。同じ意味をもつ他の言葉も含め、その共感が広がれば広がるほど、我々は、そして人類は、「負の世界」から回帰・再生する能力と力を蓄えることができる。

そして、再生可能な世界に、一歩一歩と近づくことが出来ると考える。
三月二十九日朝日新聞朝刊一面は「汚染水、建屋外に」として「2号機のタービン建屋から外へつながる坑道とたて坑道にたまった水から、毎時一千㍉シーベルト以上の放射線が測定された」「原子力安全委員会は28日夜の記者会見で、この水が海に漏れている可能性もあるとして」と記述しながら、その二面でこの水について「ごく近くにいれば、15分もたたずに、緊急時の作業員の被曝線量上限(250㍉シーベルト)に達してしまう」とする。

三月三十日読売新聞朝刊一面「2・3号機汚染水回収急ぐ。
1号機水位下がらず」とし「2、3号機では、汚染水の回収(排出して回収する。筆者)先確保に時間がかかる見通し。
一方で電源復旧は進み、外部電源で原子炉を冷却するという当面の目標は達成したが、タービン建屋の排水が進まなければ、原子炉本来の効果的な冷却システムの回復が困難」とする。
冷却水を多量に注入したのはいいが、それが汚染されて溜まり、引きつづき実行する予定の効果的な冷水注入が難しくなっている。

これを先の朝日新聞は二面において「冷却のジレンマ」とする。                       二〇一一年三月三十日現在                                川元祥一

 

緊急メッセイジ②
再生文化について
基層からの思想基軸
川元祥一

東京電力福島第一原発の事故の報道によって、原子力エネルギーが危険なのを知りながら原発建設を推進してきた研究者、専門家たちの思想レベルがわかってきた。報道では原子炉の構造や技術、原発の機構などに焦点が注がれ勝ちで、それも事態の性質から仕方ないが、その建設に携わった人々の、あまり人目に触れない思想性や心理というものが、危険で複雑な文明装置である原発を建設するうえで、いかに決定的な意味をもっていたか、しかもそれが、装置の複雑さや事故の重大性に比べていかにも軽々しくあっけないものだったか、失望感とともに知ることになる。そうした軽々しさを知るにつけ、かえってそうした思想性の重大性を痛感し、彼らに何が欠落していたのか、悔しい思いをもつとともに、本来あるべき思想、価値観を考える。現代から未来に向けて、人類史に決定的な影響をもつと思われる原子力発電所であればなおのこと、その建設についてnoかyesかの分岐点にあるそうした思想性は、もう少し、人の良心や善意の輝き、精神性豊かなものとして未来に繋がるものであってほしいと痛感する昨今である。

 

読売新聞(四月二日朝刊)によると、福島第一原発の事故に際して四月一日、この国の原子力推進を担った専門家が会合を開き、事故について「状況は深刻で、広範な放射能汚染の可能性を排除できない」との声明をだした。そこに参加した元日本原子力学会の会長・田中俊一氏は同原発の一~三号機を取り上げ「燃料の一部が溶けて、原子炉圧力容器の下部にたまっている。現在の応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、突き破ってしまう」と、圧力容器の爆発による多大な放射性物質の拡散を心配している(四月十三日現在一号機で壁が溶け、圧力容器に窒素を注入して水素爆発を防いでいる。筆者)。
同じく会合に出席していた元原子力安全委員長・松浦祥次郎氏は「原子力工学を最初に専攻した世代として、利益が多いと思って、原子力利用を推進してきた。(今回のような事故について。ママ)考えを突き詰め、問題解決の方法を考えなかった」とし、陳謝したと書かれている。松浦氏はテレビの取材でも原子力利用が危険なのを知りながら、事故について「隕石はいつ落ちてくるかわからない」と喩えて考え、自然災害に対する備えが甘く「間違いだった」と語っている。
松浦氏は自然と原発(人為)との関係をみており、人間の文明的装置に対して自然が破壊的作用を及ぼすことのある現象について思慮、配慮が行き届いていなかったのを反省している。とはいえ、原発が、人が作りながら人のコントロールの外にある危険な装置であるのを専門家として十分認識していたはずであり、そのことを考えれば、「利益が多い」といった発想で原発を推進したことに、正直いって驚いた。<こんな軽い発想で事故が始まっているのだ>と。

そうした記事がでる前であるが、三月三十日、詩人・高良留美子と私・川元祥一の連名で友人、知人を手始めに、多くの人に転送されているEメールによる緊急メッセイジ「福島原発事故から再生文化社会へ」は、ひとたび起こった原発事故が、短くて数十年、悪くすれば数百年、物資によっては数千年の単位で死の予感をともなった「負の世界」に陥ることを指摘し、そうした原発を脱却する価値基軸を「再生文化」として発信した。それは、福島原発事故を目の当たりにして緊急に発信したが、その価値基軸「再生文化」は、本来、原子力だけでなく、人間社会、生活のさまざまな局面で、自然に還元しない科学物質を利用しないこと、事業化しないことを訴える。地球温暖化の主な原因である多量の二酸化炭素、同じ意味としての「開発」の名による森林伐採などの抑制・規制など。二酸化炭素に代わって原子力エネルギーが「クリーン」とする宣伝がさかんだったが、それが間違いなのは今度の事故が証明した。チェルノブイリもスリーマイル島の原発事故も同じ教訓を示していたのだ。原子力はクリーンではないし、自然への還元を考えれば、人類が作った最も危険で、自然から遠いエネルギーだ。
こうした事例を前に、文明の行き過ぎが指摘され、自然との調和が二十一世紀の人類的課題になっている。そうした現代的課題として、人類をはじめ生物の生存を害し、自然に還元しないものは活用しない価値観、言い換えれば、再生可能な科学や技術を最高の価値とする再生の文化、その基軸を主張するものである。

私たちの緊急メッセイジは四月十四日現在、まだ転送が続いているようで、多くの共感を得ている。三百人の友人知人に転送したという人もいた。そうした中で、二三の異論が寄せられている。それを二つの特徴に分けることが出来る。一つは、緊急メッセイジが、福島原発事故の特徴を自然現象の地震と津波が直接的原因としたことに違和感を持ったらしく、「これは人災」です、と主張するものだった。私たちも、そこに人災が多いことに異論はない。ただメッセイジでは「人災」という言葉を使わずに、「死滅の文明装置」とした。慣用的に使われ勝ちな言葉をできるだけ避けたかった。そしてまたこの災害、事故は、自然と文明の衝突といえるもので、今後自然との調和を考えるうえで自立して動く自然の力を無視してはならないことも主張すべきと考えた。もう一つは、世界で三十ケ国以上が原発を持っている現在、その廃止を訴えるよりも規制をより厳格にし、大きな地震にもびくともしない施設にするのが現実的、というもの。これは、いわばよくある発想、といえるかも知れない。しかし、核分裂を原理にした原子力エネルギーは、人間が作りながら、いまだ人間がコントロール出来ない文明装置だ。仮に大きな地震をクリアし発電所の機能をまっとうしたとしても、使用済み核燃料は、可能な限り地下深く埋めたとしても何百年、何千年と水質汚染の心配をし、福島の使用済み核燃料格納庫と同じ水素爆発を起こす悲劇の心配を続けなくてはならない。そんな使用済み核燃料が世界中に広がったら、悲劇の可能性が増大するだけで、地球そのものが後戻りのできない「負の世界」に陥るのを想像すべきではないか。そうしたなかで、彼がいう厳しい規制が唯一安心できる可能性をもつとしたら、私たちが「再生文化」で主張した「再生可能な科学、技術が確立するまで研究室に閉じ込める」、そうした規制であり、価値観ではないか。

先にいった広い意味での「再生文化」について、概要を示したい。
「再生文化」について高良留美子は、その基層にあたるものとして月の文化をあげる。月は旧石器時代から多くの民族、地域で生命の誕生、生殖、成長、死の象徴であり、生命の再生、復活の象徴でもあった。月の満ち欠け、新月(暗い月)、三日月(上弦、下弦の月)、半月、満月と変わる姿と、満月から再び姿のない新月に戻りながらも、すぐ西の空に新しく蘇る。そうした循環が再生の象徴であり、再生文化の意味あいだ。その月は、生命を宿し産む女神でもある。高良はそうした象徴的女神について、日本的神話としてのイザナミを代表的とする。つまりイザナミは後の人格神とは全く違うもので、あらゆる幸・富を生み出す豊かな大地の体現者としての「大地母神」であり、出産の神、再生の神なのだ。
こうした月の文化と女神は、農耕の始まりによって太陽文化に変り、家父長的ヤマト政権によって日陰に追われる。そしてさらに、近・現代の行き過ぎた文明社会が追い打ちをかける。高良はそうした家父長的政権や近・現代の再生不能な行き過ぎた文明を超克し、自然との調和、循環と再生を取り戻するために、その基層文化して月の文化をみている。
川元は、行き過ぎた近代文明、その文化や社会の超克を考えるため、この国の前近代を足場にしながら内部にある新しい芽、文化基軸を指摘する。その基軸は、人間の側の文明の見直しを、自然との最初の接点にあるアニミズム(自然の生命力を神とする。女神、大地母神もこのカテゴリーにある) の発見と、それを原点にしながらエコシステムという自然の再生循環に対応した文明システムを構想しようとする。この文明システムの思想は「科学的、技術的に自然に回帰・再生できないものは社会的、事業的に利用しない」というもの。
こうした再生文化の思想は、その基軸としてこの国の歴史の中に育まれてきた。だが、ヤマト政権や中央政権からではない。高良が見ている日陰に置かれた部分、軽視され差別された人々の生活、仕事や文化にあった。
この国の和人社会の政治や文化の歴史の中に「清め」というイデオロギーがある。祝詞の「罪・穢を祓清め」が典型だ。祝詞の場合、権力の座にあるシャーマン、あるいはそれに準じる各地のシャーマンたちが宗教儀礼として唱える。しかしそうした儀礼とは別に民衆の間に「清めの塩」などがある。「清めの塩」そのものは宗教的であるが、その原点は、塩が持つ自然の生命力、味噌、醤油、塩サバのように、腐食を防ぐ生命力を生活文化に利用したものだ。宗教的清めも、こうした具体的生活文化を基盤に発生、維持されていると私は考える。
このような具体的生活文化の「清め」は、この国の歴史、その生活文化にたくさんあった。たとえば古代の警察機関の検非違使は、天皇直属の機関であり、その現場で警備や刑吏の具体的仕事をした人を「清め」と呼んだ。これは天皇が唱える「罪・穢を祓清め」に対応し具体化したものといえるが、その現場で働く放免、下部、非人と呼ばれた「清め」は、天皇に会うことができなかった。「聖」なる人格神天皇は罪・穢に触れないからだ。ここに祝詞のイデオロギー構造があり限界がある。しかし人々の生活は具体的「清め」によって成り立ち、当時さまざまな意味で「罪・穢」とみられた危機からの再生を図ることができた。
民衆の生活としての農耕や漁労、狩猟生活は、最初から自然との調和、再生を図ってきたが、もう一つほとんど無視された再生文化がある。高良が重視する月の文化では、狩猟・肉食文化が旺盛だったが、ヤマト政権、ことに天武期に屠畜・肉食が禁止された。その原因は祝詞のイデオロギー構造に関連するが、民間では、そして権力の座の者も、陰で肉食をしていた。健康によかったからだ。しかしその生産者、動物の屠畜解体をする者は「あってはならない者」として無視、差別された。また、屠畜で得られる皮革も、鎧や馬具、太鼓などとして社会の必需品だった。そしてそれは、腐る「皮」から腐らない「革」への変化、再生文化の典型でもあった。しかしその技術者、生産者も無視、差別された。こうしたイデオロギー構造とその限界は明治時代初期まで続くが、その後は欧米のそれらの技術を導入、その「欧米」の技術ばかりが評価され、現代では、この国に無視・差別のイデオロギー構造などなかったかのように思われている。しかし、自分の歴史を直視できない文化状況に、生活や文化の真実を見る力はないと考える。私は、ここで無視、差別された文化を「部落文化」と呼んでいるが、それは動物の生命力、その特性に依拠した文化であり、欠くことのできない再生文化だったのだ。このような歴史を正視、直視し、この国の文化を足元の基層から見直し、変革することが大切と考えている。
現代的知識と科学の集積ともいえる原子力発電所と、歴史の日陰でつづいた文化、価値観を並べると、後者がいかにも古く、歴史的遺産のように見えるかも知れない。しかし、権力から日陰に置かれながらも、具体的に民衆の生活を支え、今もそれを認識できる文化は、それを直視することで大きな意味を持ち、深いところで共感が広がる可能性をもつ。
原発が再生不能なエネルギーであり、危険きわまりないのを知りながら「利益になると思って」推進してきた思想性を知るにおよんで、長い間人々の生活を支え、いまもその具体性を認識できる、自然との調和を図ってきた文化を対置し、それを現代的に表象、体系化することも考えて、人々の社会的関係、その思考、議論の基軸にすべきと痛感する。

このような「再生文化」の認識が広がり、異なった言葉で表される同質の文化をも含めて共感が集まるなら、それぞれの地域の自然や歴史を生かし、そこでのアニミズム的神々を集め、現代的表象も含めた祭り、「再生の祭り」とでもいえるものを構想することが可能ではないか。そうした新しいエネルギーが再生、広がるのを大いに期待する。